土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
貞光川
2012-06-07-Thu  CATEGORY: 貞光町
子供の頃は、貞光川でよく遊んだ。

映画に登場するやくざの仁義に「◯◯川で産湯を使い・・」という言い回しがあるが、ふりかえれば貞光川は自分たちにとって、まさしく産湯を使った川だ、と今にして思える。

貞光川は、泳いだり、魚とりをするだけでなく、野球をしたり、凧を上げたり、焚き火で芋を焼いたり、夏の夜は夕涼みの場所になったり、商工会の歳末大売り出しの臨時のヘリポートになったり、年一回の花火大会が催されたりと、川と町民の生活は密接した関係にあった。

 泳ぎ場は「土井の岸」「一本松」「変電所」「おくがん」「しもがん」などがあった。

 最初は「土井の岸」で泳いだ。きれいな水が急流となって土井の岸を流れていた。ここは、背の立たないところはないので安全なポイントであった。ここで、それなりに練習をつんで自信ができたら「土井の岸を卒業して」上流にある、背が立たない「一本松」「おくがん」「しもがん」や吉野川との合流地点に近い「変電所」で泳いだ。これらのポイントは背の立たないところばかりで、子供心に「恐い」場所でもあった。

 今の土井の岸
今の土井の岸
 こんなコンクリートの護岸はなかった。古(いにしえ)の河川技術で岸が造られていた。

 「一本松」と「おくがん」では、二回ほど溺れたことがある。背が立つだろうと思ったら、足が川底に届かなくてパニックになり、手を振り回していたら、偶然岸辺の岩に手がかかり事なきを得たものだ。
貞光川では、川の恐ろしい一面も教えてくれたように思える。

 上級生になると、たまに、大川(四国三郎、吉野川)まで、おそるおそる行くこともあったが、深
さ、流れ、川幅が半端じゃないので恐怖心に負け、やはり、貞光川で水浴びするほうが、はるかに多かった。

 中学生の頃は、夏休みになるとほとんど毎日、自転車で貞光川の上流(許可された水泳場所以外)に泳ぎに行った。
このぐらいの年齢になると、たいした意味もないのに「学校が決めた規則を破る」こと自体が、なんとなくかっこ良く思えたこともあったように思う。
そこが、この写真の場所である。
 
貞光川上流


 この堰堤や、堰堤の下流には、深い淵や急流や飛び込むのに最適な岩などがあり、よく泳いだ。
「かなつき」という銛を片手に、水中眼鏡をつけて潜り、魚を突いたりして遊んだりした。
一回か二回は、ちょっと上流にある皆瀬小学校の下の曲がりくねった流れの場所まで遠征して泳いだりしたこともあった。


 当時は、今みたいに、便利なものは何もなかったが、自然だけは今よりもはるかに多くて、山や川や校庭や路地や田畑などで遊びに暮れた体験は、今も、身体のどこかに身についているに違いない。
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