土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
思えば遠くにきたもんだ
2012-08-23-Thu  CATEGORY: 未分類
深夜から、断続的に雨が降り続いている。夏の暑い日差しが指したかと思うと、みるみるうちに雲が広がり、傘なしではずぶ濡れになる雨が降ったりしている。





海援隊に「思えば遠くへきたもんだ」がある。


中原中也の「頑是ない歌」の本歌取りだ。作曲は「ふきのとう」の山木康生。



私は、この歌が好きだ。歌詞は中原中也から引用しているが曲はオリジナルだ。
この中に「二十歳のころの僕はいつも・・・・」というフレーズがある。


二十歳の頃の私は何をしていたのか。

 脇町にある四国ボーリング工業という創業したばかりの、地質調査と測量の専門会社に勤務していた。私は、測量の仕事に配属された。

 父の使いで町の洋品店で社長に出会った。当時の私は、高校卒業後に就職した会社を辞めてふらふらしていた。旧・貞光町の町章を作った洋品店主が「この子は、白浦はんの息子はんで工業高校の土木科を出ているんでわ」と紹介した。

 社長は、私を見つめて、名刺を手渡しながら「遊びに来んで」と誘った。

 二、三日してから、自転車にまたがり隣町にある四国ボーリング工業を訪ねた。
ちょうど、会社の慰安旅行に出発する直前というタイミングだった。

 社長から「あんたも乗りない。一緒に行こうや」と云われ、素直にバスに乗り込み社内旅行に参加し、一泊して戻ってきたら、いつのまにか社員になっていた。


 社長からは「工業高校の土木科を卒業した子なので楽しみだ」みたいに、期待をかけられているのがなんとなくわかっていたのでプレッシャーがあった。

 しかし、工業高校土木科を卒業したというものの、期待は大外れで、習ったはずの机上の知識もあやふやだし、社会人としての責任感の自覚もなく、全く、実務には役に立つことがなくて足手まといばかりしていた。

 それでも、社長や先輩から、仕事の手順や、心構えまで、ひとつひとつ根気よく教えてもらった。また「あれではいかん」というような反面教師の存在も居たりして「社会とはどういうものなのか」をここからスタートさせてもらった。

 社長は、社員思いのやさしい人であった。しかし、仕事には熱く厳しく、何度も怒鳴られた。私生活のことで助けられたりもした。



 本当は辞めたくなかったのだが家庭の事情で延岡に行く事になった。延岡に行っても一段落したら、四国ボーリング工業に復帰するつもりでいたし、社長も「いつでも帰って来いよ」と見送ってくれた。

 四国ボーリング工業に在籍した期間は2年にも満たなかったが、私にとっては、たいへんお世話になった会社である。
 今も、二代目社長(現在は会長)と親しくお付き合いさせてもらっているし、いちばん古株の同僚のT君も健在で、電話でやり取りしたり、専門工事の件で助言してもらったこともある。

来月のはじめには延岡に移って満39年になる。「すぐ、戻ります」という先々代社長との約束は全く果たせなかったが、来年の同窓会の折に、機会があればご仏前で「お久しぶりです」と手を合わせたいものである。

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