土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
渡し船の時代
2013-02-06-Wed  CATEGORY: 貞光町
明け方、曇の晴れ間に三日月が顔をのぞかせていた。本来の名称は「十六夜(いざよい)」というようだ。十六夜の月明かりの下で、日課の犬を連れて散歩をしてきた。




これは「喜来の渡し」だ。吉野川左岸右岸(貞光町馬出)から右岸左岸(美馬町喜来)への渡し船に乗船中の一枚だ。美馬橋の完成を間近にひかえた頃で、季節は冬の終わり頃のように思える。
喜来

上の方に張られたワイヤーが見える。どうやら、岡田式渡船らしい。
岡田式とは、岐阜県の岡田只治氏が発明された、全天候型渡河方式で吉野川にも沢山の岡田式渡し船があった。

 この写真は、同窓会で帰郷したおり、同級生の「ひろっちん」宅に遊びにいったとき、見せてもらった写真だ。そいつをデジカメでコピーしてきたのである。

 なんと、なつかしいではないか。

 美馬町の親戚に行くときは、写真のように父に連れられて何度も喜来の渡しに乗船していた。乗船の列の中の子供は、背格好からして「もしかしたら私」という可能性だってある。

 向こう岸(喜来)に着くと、宗重にある親戚の家までは徒歩だ。子供の足だと1時間ぐらいはかかる。
何度か乗船したとはいえ、その記憶はうすぼんやりとしている。

 残像として、私の頭のなかに残っているのは、踏切、石塔、鬱蒼とした竹林の中の小径、石ころだらけの川原、渡船場、河川敷に並べられた和傘、橋脚だけの美馬橋といった断片的なものだけである。

 奥に見える美馬橋が開通したのは1958年春だから、私の記憶は5歳か6歳のことになるのだろう。


 対岸の美馬町喜来で下船すると、そこから、父と二人で、段の塚穴古墳の近くにある親戚の家まで、田んぼ道をとぼとぼと歩いて行くことになる。

「まだ?」
「もう、ちょっと」

「まだ?」
「もう、ちょっと」

 歩くのはつかれるけれど、親戚の家までいけば「いいこと」が待っているのがわかっているので辛抱できるのだ。

 でも、幼なごころに「いったい、いつまでが、もうちょっとなのか」と思いつつ、両脇と真ん中に草が生い茂った真っ直ぐな道を父について歩いていった。

 右側には吉野川の竹林、周囲は田んぼ、その中を何の変哲もない一本の農道が西から東に通っているのだ。
やがて、進行方向左手に朱塗りの山門がみえてくる。

 父は指さしながら、あれは「あかもんでら」、あそこは「がんしょうじ」などとお寺の名前を教えてくれた。

 1950年代の終わり頃までの交通手段は、汽車やバスも走ってはいたが「歩く」ことも主要な交通手段のひとつでもあった。
 その他の手段といえば、荷車、馬車、自転車、リアカーも使用されていた。
今「道路」と名がつけば、アスファルトで舗装されているのが当たり前だが、当時は、幹線道路の舗装が、おいおいと進められている途上で、幹線道路以外の道は、でこぼこで雨が降ると水たまりだらけになった。

 今も、雨が降ると「お足元のお悪いなかをご足労いただきありがとうございます」という挨拶があるが、当時は、雨上がりの道を歩くのはひと苦労で、そのときの名残が挨拶として残っているように思える。

 渡し船の時代は、鉄道まっさかりの頃で、美馬町に居住されていた人たちが喜来から貞光まで吉野川を渡って行き来していた。貞光町には国鉄貞光駅があり、商店街も賑わっていた。貞光駅は徳島本線の主要な駅のひとつで、喜来の渡しは「渡し船」とはいえ、幹線道路でもあった。

 今は、道路事情が見違えるほど整備され、交通手段も鉄道から自動車に移行し、なにもかもが大きく様変わりしてきた。徳島道のICは美馬町にあり、今は、美馬町が交通の基点になっている。

 「歴史は繰り返すと」とか、「時代は螺旋状に進展していく」などといわれるが、モーダルシフト社会とかで、鉄道が見直される時代がくれば、貞光駅が交通の基点に回帰することもあるのかもしれない。

 ここにきて、ふと思ったことがある。
ここは、「喜来の渡し」である。「喜来」の対岸は貞光町「馬出」である。でも「馬出の渡し」と聞いた覚えはない。貞光町サイドの視点からいえば「馬出の渡し」でなければならないはずだ。
なんでだろう。

 喜来に行くよりも、喜来から訪ねてくる人が多い、つまり、貞光町よりも美馬町の住民の方の利用者が多かった、といえるのかもしれない。
 
 1970年頃
貞光空撮

 
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コメント | | 2013-02-06-Wed 22:11 [EDIT]
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コメントG3 | URL | 2013-02-06-Wed 23:11 [EDIT]
 右岸と左岸、間違って書いてしまい、訂正しました。^^;
 ご指摘、ありがとうございます。

 美馬橋が開通するやいなや、吉野川河川敷に米軍の軍用機が不時着するという事件がありました。ひとりで、美馬橋を渡って野次馬したことがありました。行帰りが、やけに、遠く感じたことを覚えています。
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