3回目の入院が無いように願いたいものだ。
福田呉服店・福島楽器店・井川商店のことなど。
「元・福田呉服店」

福田呉服店では「足袋」ぐらいは買ったことがあるかもしれないが衣類を購入したことはないと思う。
それでも、私たち町内に住む子供たちは、年に一度は必ず「福田呉服店」のお世話になったものだ。
当時、学校の「教科書」は福田呉服店でしか求められなかった。新しい学年に進級するたびに、母と一緒に福田呉服店まで真新しい教科書を買い求めに行った。
はっきりと覚えていないが、店内はうっすらと暗く、TVの「鬼平犯科帳」に出てきそうな「おたな」みたいな雰囲気だったように思える。
いつごろからか忘れたが、教科書はお国からの支給品となり対価を支払わなくてもよくなった。
子供心に、なぜ、本屋さんでなくて呉服店で教科書なんだろうと、ちょっとした疑問をいだいたこともある。
ご主人の顔は記憶していないが老舗の店主という感じだった。
「元・福島楽器店」

福田呉服店の数軒北よりに位置している。道路の両側に二層うだつが続く街並みの中で、福島楽器店だけが、白い洋館形式で建てられ異彩を放っていた。それでもなんとなく周囲の雰囲気に調和していた。
福島楽器店は町内ただひとつの楽器店だった。
ジブリのアニメに出てきそうな、初老の女主人が応対に出られていた。
ここで買うものといえば、学校の音楽で使う「カスタネット」「ハーモニカ」「縦笛」のたぐいである。
中学に入ると、エレキギターなど買えないのに「ピック」、ドラムなど現物を見たこともないのに「ステイック」、などを買った。流行っていたグループサウンズ(GS)の影響と思うが、そんなものを買ってどうするつもりだったのだろう。
初めてギターを手に入れたのもここだ。アルバイトで貯めたお金で買った。興味の対象がGSからフォークに移っていたので、本当はフォークギターが欲しかったのだけれど、なぜか、クラシックギターを買ってしまった。
そうそう、レコードも販売していた。わが家にはレコードプレーヤーも無かったのでレコードそのものを買うことはなかったが、沢山のレコードが陳列されていたような記憶がある。
「元・井川商店」

運動場に行く入口の角地に位置していた。このあたりは、主要な通学路で幼稚園、小中学校に通う児童の大半は井川商店の前を歩いて登下校していた。
駄菓子屋さんだったが、駄菓子以外にも「ノート」や「かぶせ(鉛筆キャップ)」「ナイフ」などのちょっとした文房具などもおいてあった。
ここでは、写し(移し)絵、べった、コリスガム、日の丸キャラメル、シガレット菓子・・などを買った。
当時は、幼稚園も4クラスあったし、小学校の全校児童数は800人を越えていた。我々の中学時代の同級生にしたって総勢184名を数えることができる。それが、今や少子化の影響で中学の全校児童数は130名しかいない。いや、まだ130名もいる、というのが正しい表現かもしれない。
時代だといえばそれまでだが「これでいいのかい」というような思いがする。