土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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脱脂粉乳
2013-04-03-Wed  CATEGORY: 食べ物

 まごの「ひな」は春休み中である。毎日、宿題をほったらかして遊んでいる。
 来週から3年生の新学期をむかえる。

 学校では、給食があり「ひなた」も、日々、お世話になっている。今や全国ほとんどの小中学校で、ちゃんとした給食が実施されているようだ。


 私が子供の頃の学校には今のような給食制度はなかった。昼休みになると、「町」に住んでいる家の子供たちは自宅に帰り昼食をとっていた。
 昼を食べ終わると午後の授業を受けるため再登校するのだ。たまに、10円硬貨を手に、学校とは反対方向の尾花精肉店に行き、ほかほかの「コロッケ」を買って食べながら午後からの登校をするのも、ひとつの楽しみであった。

 小学校の上級生になった頃「脱脂粉乳」が出されるようになった。落としても割れる心配のないアルミの器になみなみと注がれて木の机の上に置かれた。パンの一切れも何もついていなかった。アルミの器に入った粉乳だけが、ほかほかと白い湯気をたてていた。

 口元を近づけると「うっ」となり、とても飲めるものではなかった。先生から「絶対に残すなよ」と言われていたので、無理して飲み干したこともある。

 学校側は、あまりにも人気がないので脱脂粉乳をココア風味に整えるなどの工夫をこらしてくれたが、脱脂粉乳がベースなので「うっ」というのは変わらなかった。むしろ、キンキンに冷やしてくれていたら、一息に飲み干すことができたかもしれないと思う。

 私にとっては脱脂粉乳の時間は憂鬱でしかなかった。

 でも、クラスには、たいてい、飛び上がり者が一人や二人ぐらいは居る。私の場合はけいぞう君という健康優良児が私の粉乳まで飲んでくれたのでなんとか助かっていた。

 けいぞう君は「地獄で仏」のような存在であった。


 脱脂粉乳は、突然に我々の前に姿を表して、いつのまにか無くなってしまったという印象だ。脱脂粉乳のトラウマはしばらく続いた。


 ひなたに「給食、おいしい?」と聞くと「うん。おいしい」と答えが返ってくる。


 それを聞くと、今の学校の給食制度は「いい制度かもしれないな」と思ったりするのだ。

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コメント

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脱脂粉乳
コメントななに | URL | 2013-04-05-Fri 22:35 [EDIT]
脱脂粉乳を鼻をつまんで飲んでいた子がおりましたが、私には脱脂粉乳よりも、家で飲まされていたヤギの乳のほうがウッとなっていたような覚えがあります
また、少年野球の監督をしてくれていた兼本さんが、大きな鍋に湯を沸かして、その中に脱し粉乳の粉を入れてかき混ぜるのを覚えています

ところで、貞光で給食が始まったのは、私が中学1年のときからと記憶していますので、G3さんは学校給食の経験はないんでしょうね
最初の給食のおかずに私の嫌いなゴボウが入っていたことを覚えています
みんなが不味いと言っているので、自分もそう言わないかんのかなと「まずい」と言ったような気がします^^;
コメントG3 | URL | 2013-04-06-Sat 18:54 [EDIT]
ななにさん
>ヤギの乳。
 飲んでいました。母がどこからかいただいてきたのを温めて砂糖を入れて飲んでいた記憶があります。

兼本のおやっさんが配合してくれていたのですか。
なつかしいです。兼本さんの夜の校舎の巡回に同行させてもらったり、小学校の宿直室に泊まらせてもらったりしたこともあります。

 私の世代は、学校給食経験はありませんでした。昼は、自宅で食べたり弁当をもってきたりでした。
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