土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
蛇谷川その3  おわり
2013-05-21-Tue  CATEGORY: 未分類
蛇谷川を上流に歩いていくと砂防ダムがある。この銘板は昭和28年となっている。

コンクリート診断士の視線で構造物を見渡してみた。表面の経年劣化はしかたないとしても、これはというような劣化や不具合は見当たらない。まだまだ現役の砂防ダムとして役にたってくれそうだ。



これも「いい仕事していますね」である。



 昭和28年といえば、終戦後の物資の欠乏していた頃で、今みたいに生コン会社などもなく、宮崎県の直営施工により、現地でセメント・砂・砂利・水を混ぜて施工したと思われるが、出来栄えも品質についても、60年後のこんにちになって、現在の構造物と比べて少しも見劣りしない。

砂防ダム


 途中、両岸をつなぐ橋が架けられているが、今は「通行止め」になっている。なぜ、通行を規制しているのかと下に回って目視したら、内部の鉄筋が錆びて膨張しコンクリートが浮いてボロボロになって剥落している。劣化グレードはステージⅳの劣化期である。

塩害


 劣化の原因は、コンクリートの中性化も多少は影響しているが、これは「塩害」である可能性が濃厚だ。
いわば塩害の見本みたいな事例だ。



 このあたりは、海に近いので、コンクリートに使う砂は海から運んできたのだろう。塩分を大量に含んだ海砂をそのまま使ってコンクリートを練ったのだ。



 コンクリートの中に鉄筋を入れるのは当時の最新工法で「塩害」などは想定外だったにちがいない。今みたいに除塩することもなく、そのままコンクリートとして使われ、長い時間の経過のなかで酸素や水の劣化因子も作用し、内在鉄筋が腐食し現在に至ったと思われる。

 ところでスラブの下面には型枠の隙間からのモルタルのこぼれを防止するためなのか、セメント袋が敷き詰められていたようで「日本セメント會社」の文字の残るセメント袋の残骸が残っている。

セメント袋


ちなみに一袋あたり「正味」50kgと印刷されている。

 高校3年の冬休みの土木のアルバイトで、現場でコンクリートを練ったことがあるが、その頃は50kgもあり、えらく重かった記憶がある。この業界に入った頃は40kgに変わっていて、今は25kgまで減量してきている。



 この橋梁も、護岸と同じ頃の施工だと思われる。この頃の、こんな田舎では、鉄筋コンクリートなんぞは珍しかったのではなかろうか。当時は鉄筋の代わりに「竹」を使ったこともあったらしく「竹」だったら、強度は弱くてもこのような劣化はなかったかもしれない。

 昔は「鉄筋混疑土」と書いて「鉄筋コンクリート」と読ませたという、そんな時代だ。



 こうしてみると「鉄筋」は、コンクリートにとっては「異物」でしかない。でも「異物」のおかげで、大きな荷重にも耐えられ大きな構造物も創られるようになってきた。ところがその一方では耐久性を損ねる原因も作ってきた。



今、我々が施工している鉄筋コンクリート構造物が、100年持つのか、持たないのか100年経過しないとわからないが、先人たちがいままで積み重ねてきた失敗をもとに設計施工されているので、個人的には100年はおろか、もっと永い将来にわたり耐久性は備えていると確信している。

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