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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
身近にいた、やくざ。
2007-11-01-Thu  CATEGORY: 昭和の話

 別ブログをそのままコピペしました。^^;

 身近にいたやくざ。 
 先日、東映映画「人斬り唐獅子」を観たせいか、やくざのことを思い出している。やくざといっても、理不尽な人とは違う。暴力団ではないほうのやくざである。 
 
 私の生まれ育った町、貞光町にも居た。ヤクザではなく任侠の徒といいたい。私の兄の友人の父が元・親分であった。阿波踊りの名人で、真夏の真っ盛りでも長袖を着て、肌の刺青をひとに見せることはなかった。当時の任侠の徒は「堅気さんに迷惑をかけない」という決まりごとをストイックに守る、そういう人たちであった。 
 
 この、元・親分はおとなしくてやさしい好々爺で「子供には、とくにやさしかった。思えば、ヤクザ者」の匂いのする人ではなかった。父の友人でもあった。 
 
 また、街の銭湯に行くと、背中一面に彫り物をしている人に、よく出会った。Uという方で、とっくに足を洗って、町議をしていたようだ。最後は、議長にもなられたような記憶がある。多分、地元のために尽くす、人格者だったのだろう。で、なければ政治家には選ばれないであろう。 
 
 しかし、風呂場で見る、背中一面の刺青は、子供心には、ちょっと近づきがたいものがあった。おそる、おそる、上半身に彫られた「絵」を見ていたりしていたものだ。 
 
 この方の彫り物は「透かし彫り」といって、普段は見えないのだけれど、お湯などにつかって暖めると、総天然色の図柄浮き上がってくる、というふうに聞いていたように思うのだけれど、一回もそのような場面には出くわさなかった。タオルで前を隠し、風呂場に入ってくるときから総天然色だった。 
 
 小さい頃は、身近に、任侠の徒が居て、あまり違和感もなく、普通に生活していたのだ。 
 
 そのせいか、どうかはわからないが、私の同級生には、その道に進んだものが数名ほど居るらしい。「ええっ?まさか、あの奴が」という子もいるし、「うんうんと納得できる」のも居た。あの世界で30年以上もつとめているのなら、今は、大幹部かもしれない。 
 
 そういう時代だったのであろう。 
 
・・・・・・ということで本日はこれで失礼いたします。
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コメント

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コメントひぐま | URL | 2007-11-06-Tue 23:10 [EDIT]
私の育った夕張もヤクザが多い町でした。
炭坑町には内風呂のある家なく、みな銭湯を利用してましたから
刺青を彫ったおにいさんが銭湯に入っていたのを覚えていますが、
私も子供心に怖いながらも、明るい人が多かったように記憶してます。
私の友人もその道に入った者がいますが、若くして(20代)で命を落としてしまいました。
40年前と今では、「やくざ型コミットメント」も変化しているのでしょうね。
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任侠学園
トラックバック本ナビ!by Tamecom 2007-11-20-Tue 17:08
 「素人衆に迷惑をかけてはいけない」という昔かたぎのヤクザ・阿岐本組は、組員たった6人の小さな組だ。しかし、親分の阿岐本は数々の組長と兄弟の絆で結ばれている大人物。その縁で兄弟分が持て余し、経営が傾きかけた私立高校の再建を引き受けてしまう。  訪れた...  [続きを読む]
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