土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
帰郷
2015-05-24-Sun  CATEGORY: 未分類
元気です。

皆さんも元気していますか。



久しぶりではないけれど徳島に行ってきました。
兄と二人だけで、貞光・脇町・美馬町・木屋平など、方々の親戚・知人を訪ねました。

 飯田食堂のうどんも四十年以上ぶりにいただいてきました。昔はアイスキャンデーを製造販売していましたが、途中から食堂になったようです。90歳におなりになる店主とも話をさせてもらいました。
飯田食堂

昔と変わってない「うどん」
うどん




今回は、白村堂入口付近にある「白浦小学校跡地」に行くことができました。
明治の初め頃、私の曾祖父が自費で建てたとか。
白浦小

奥の方に「白村堂」が見えています。
白村堂は、お護摩焚きの祭が行われたとき何度が遊びにいった記憶があります。
お堂の裏手に回ると、錆び付いたウインチが当時のまま置かれていました。
索道



索道だ。

当時は、白村堂と下の宮内との間に1本の索道が設置されて、日常品などを上に上げたり、農産物を下に運んだりしていたものでした。車で走られる道路が白村部落あたりまで整備された頃、お役御免となったようですが、ウインチだけは今もこうして残っていました。

 私を含めた悪ガキたちは、宮内の畑で索道が動きはじめだすのを待ちなから、索道が動きはじめると同時に荷台にぶら下がり限界ギリギリまで辛抱して下の畑にパラパラと飛び降りたりして遊んでいたものです。

 ※ ちなみに写真に写っているご老人は「私」ではありませんので。
スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0 コメント3
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
索道
コメントななに | URL | 2015-05-25-Mon 16:35 [EDIT]
白村のお堂の縁側に消防用のホースを干しているのが写っていますが,このホースは17日に片付けました。
13日に徳島へ来られるとのことだったと思いますが,やはり先々週のうちに徳島へおいでになってらしたんですね。
索道は,私の家の前から白村堂までの間に張られていました。その索道に乗って遊んでいる人を見たことがありますが,そのうちの一人はG3さんだったかも。
当時は白村の多くの農家で牛が飼われていました。そのころ,菰俵の中に入れた子牛を索道の荷台に載せて運び上げているのを何度か見たことがあります。悲しそうな子牛の鳴き声が聞こえておりました。
承認待ちコメント
コメント | | 2015-05-25-Mon 17:44 [EDIT]
このコメントは管理者の承認待ちです
管理人のみ閲覧できます
コメント | | 2015-05-28-Thu 22:24 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
トラックバック
TB*URL
<< 2017/06 >>
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -


余白 Copyright © 2005  日々(いや、気のむくままに)読み書き. all rights reserved.