土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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自由犬(野良犬)はどこに行った。
2008-03-07-Fri  CATEGORY: 昭和の話

野良犬の姿を見なくなったのは、いつごろからだろうか。

今は「ペットブーム」で、犬は、とても大切にされている。しかし、街をほっつき歩いている野良犬を見かけることは、ついぞなくなった。

子供の頃どこにでも居た、あの野良犬たちはどこに行ってしまったのだろう。

当時は、つないで飼っている家は少なくて、ほとんどが「放し飼い」だった。本当の野良犬と飼い犬をどこで見分けるかというと「首輪」のあるなしだった。

野良犬が人に対して悪いことをした、というのはあまり知らない。せいぜい、ゴミ箱を漁るぐらいだった。中には、鶏舎を襲うことも耳にしたが、そういうのは滅多になかった。

今、犬の糞が落ちていて困る、というけれど、それは同伴している人間の仕業であり「犬」のせいではない。

昔は保健署の職員が「犬取り」に回っていた。子供たちは「犬取り」が大嫌いで、悪魔か何かのように毛嫌いしていたものだ。

 

我が家は、家族全員、犬や猫が好きで、私も、当然その影響を受けている。

幼い頃には「クマ」という名の雑種を飼っていて、私は「クマ」と一緒に食事をしていたそうだ。

小学4年生の頃には、鉄道のガード下でダンボール箱の中に捨てられ鳴いていた三匹の黒犬を「わしはこれ」「わしはコイツにする」と、悪童仲間でそれぞれ持って帰ったことがある。

父と母からは「犬は飼わん」と叱られたが、結局は「むつ」という名前を私から付けられて、我が家で過ごすことになった。

 【むつ】 愛犬 むつ。

 

犬たちも「自分たちを好いてくれる」のは、わかるらしくて、我が家には、よその家の犬がよく遊びに訪れてきた。

「テツ」「はち」「ゲン」「じょー」「ロセ」「サン」「ダイ」・・まだまだ、居たが忘れてしまった。

「テツ」などは、必ず夕方の決まった時間に遊びに来て玄関で、扉を前足で、ごりごりと引っ掛けながら「わん。わん」と吼えた。私たちとひとしきり遊ぶと「さっと」自分の家に帰ったものだ。

「はち」は、近所の逢坂さん宅で飼われていた犬で、夏の真っ盛りになると、我が家の涼しい台所の土間に侵入してきて寝ていた。母から「はち!!。ここで寝たらダメ!!」と、外に追い出されていたのも懐かしい情景だ。

【はち】 はち。

 

「サン」と「ロセ」などは、ついには家出同然になり、我が家の縁の下をねぐらに定めて、住み着いたものだ。そこに、行き倒れの白い野良犬「シロ」が私の母に助けられて、住み着き、三匹の犬が居ついたこともあった。  

 

これら自由の犬たちは、人間に「自分の最期」は見せなかった。死期が近づくと、自然にどこかに姿を消していなくなった。あの、図々しい「はち」でさえ、最期の姿は、主人に見せることなく、姿を消してしまったものだ。

また、近所には、野良犬の集団が居て、大きな家の床下で暮らしていた。野良犬なので、けっして人間にはなつかなかった。夕方頃、10匹近くの野良犬が集団で近くを走ったりすると、少し、こわいものがあった。でも、彼らは、人に対して危害を加えるということはなかった。

父は、野良犬のリーダー「足短(そくたん)」と、仲がよくなった。父が座って「こいこい。足短」と呼びかけると、尻尾を振りながら、父の膝元に近寄って手をなめたりしていた。

「足短」は、他の者には、けっして心を許すことはなかったが父にだけは許していた。

とにかく「野良犬」が居なくなった。放し飼いもできなくなった。そして、世の何もかもが殺風景になってしまった。

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