土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
スポンサーサイト
-----------  CATEGORY: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ページトップへ
残してもらいたいもの。
2008-11-08-Sat  CATEGORY: 昭和の話
  高速道路の工事現場の近くに、元・高千穂鉄道の線路が走っている。
 高千穂鉄道border="0" />

TR レール

 ご案内のとおり、高千穂鉄道は「廃線」が正式に決定される。
 もう、このレールに、列車が走ることは、ない。

2005年の9月6日の台風14号による、記録的な豪雨で、橋梁が流されるなど、甚大な被害を受けて、復旧されることなく、ついに、廃止が決まったのである。

 「儲かるか、儲からないか」といった、経済的な理由だけで判断された結果である。

 残念きわまりないが、仕方ないことなのだろう。


 高千穂鉄道は「橋梁技術の実験場」といわれるぐらい、多彩なタイプの橋梁が建設されている。
 当時、複数の設計者が、それぞれ、意匠をこらして、自由な雰囲気のなかで、デザインされたものではないかと思う。こういう、個性的な橋梁が連続して点在する箇所は、全国的にもめずらしいのではと、勝手に思っている。

 この、多彩な土木構造物を見ると、当時の工事関係者の努力のあとがしのばれる。

 こういう構造物が造られることは、今後、二度とない。

廃線になって、土木構造物まで取り壊されるとしたら、ほんと、もったいないと思う。

 重ねて言う。
 
 こういう構造物を造ることは、絶対に、出来ない。


 歴史的土木建造物として、貴重な文化遺産として、軌道敷きと橋梁、そしてトンネル、ぜひ、後世に残してもらいたいものだ。

 ということで、これに応募してみたいと思っている。

 → 土木学会 の資料の中に、高千穂鉄道綱の瀬橋梁の論文が昭和12年に書かれている。



 下の写真は、高千穂鉄道が被災する何ヶ月か前に、たまたま、撮影したものである。

 橋梁は、二つとも、流失して、今は、ない。

高千穂鉄道 槇峰付近の橋梁

高千穂鉄道 川水流橋梁

高千穂鉄道槇峰付近

 では。






 

スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0 コメント0
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
TB*URL
<< 2017/10 >>
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -


余白 Copyright © 2005  日々(いや、気のむくままに)読み書き. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。