土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
まだ戦後だった。
2008-12-14-Sun  CATEGORY: 昭和の話
   私は、戦争は知らない世代だ。

♪戦争が終わって僕らは生まれた

 戦争を知らずに僕らは育った

  歌詞どおりの世代である。

でも、私たちの小学生時代は、今から思えば「戦後」だった。

 少年マガジンには名作「紫電改のタカ」が連載されていたし、加藤隼戦闘隊が活躍する「大空のちかい」、零式戦闘機だと「ゼロ戦はやと」が当時の子供の人気であった。

 少年マガジンなどの雑誌の表紙や特集も太平洋戦争の兵器づくめだった。

 私など、今でも、第二次世界大戦の戦闘機や軍艦の名前を諳んじることができるぐらいだ。

 プラモデルも、造るのは、ゼロ戦、月光、疾風、紫電改、雷電などの戦闘機、大和、武蔵、長門、陸奥などの戦艦、そして伊号潜水艦などであった。

 TVでは「コンバット」や「ギャラントメン」の連合軍Vsドイツ軍の戦いがドラマになっていた。

 あれは、何だったのだろう。

 戦争を美化するのでもなかったようだし、意気を鼓舞するようでもなかった。

 ただ、面白いから見ていた。

 そして、それが、とにかく流行った。

 それが昭和40年になって、私の中では、ぶっつりとやんだ。

 「紫電改のタカ」の終わりと同じ頃であった。



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