土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
サーカス。
2008-12-21-Sun  CATEGORY: 未分類
今日の日曜日は、ひなたを喜ばせようと思い、家族四人で宮崎市の郊外で開催されている「木下サーカス」を観に行った。
木下サーカス



 サーカスを、生で観るのは、私自身、多分、五十数年ぶりである。

 ぽかぽか陽気の日曜日のおかげで、人出も多く、席がとれるかと心配したが、早く、着いたので、リングサイドの席はとれなかったが、舞台正面の後方の指定席に4人座ることができた。

 五十数年前に観たサーカスは、多分、ひなたと同じぐらいの年齢だったのではないか、と思う。父に連れられて行ったのだ。
 今も、記憶に焼きついているのは、ムシロ製の壁と、鉄球の内部をオートバイで駆け回る芸である。

 空中ブランコがサーカスの花形といわれるが、私の中では、木下サーカスの芸の圧巻は、なんといっても、鉄網でできた球の中を、オートバイが轟音をたてて走り回る芸だ。

 【ステージ後方の球体が、それ、である】
 サーカス会場


 今回も、五十数年前と同じように、オートバイの演技があった。ひなたもまた、私と同じように、記憶にしみついただろうか。


 TVなどでみる、外国のサーカスと違って、日本のサーカスには「かなしさ」みたいなイメージがつきまとう、そういう印象が私にはある。

 しかし、内部に入って演技を観たら、そんな悲哀みたいなものは、少ししか感じられなかった。

 それは、演技者の大半が、西欧人だったからかもしれない。日本人は、バイクで鉄球と最後の空中ブランコだけである。

日本のサーカスなのに、芸能者は、外国人。

サーカスも国際化している。

「精霊の王  中沢新一」 より、引用。

サーカスというヨーロッパ渡りの形式をもった芸能は、日本に移植されるととたんに、宿神に守られた「後戸の芸能」としての性格をあらわにするようになるのだ。ほかの伝統芸とは違って、サーカスはテントを張ることによって、広場に芸能の行われる臨時の空間をつくりあげる。このテンとはヨーロッパ人の発明になるものだが、それが日本の空き地に立ち上がるやいなや、この列島で展開した芸能にとって、象徴的な意味を持つ胎生学的オブジェに変容を起こすのだ。サーカスこそ、地上に出現した巨大な母の胞衣なのだ。薄汚れた木綿でできた「屋蓋」が、外界と内部空間を隔てる境界の膜となる。膜は薄い素材でできている。しかし、その膜があるおかげで、外界の現実の影響は遮断されて、内部には入り込んでこないようになっている。



・・・・・・・というようなことを、少しは、感じることができたような気がする。

 12月の日曜日を、それなりに、楽しんできた。

 ひなたも「おもしろかった」と云っていた。



 


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