土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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パトリ、つまり 中景の話
2007-04-17-Tue  CATEGORY: 地域社会
 私たちが子供の頃にあり、今、失われつつあるのは「共同体性」である。パトリである。

 昔は、稲刈りの手伝いに行ったり、近所で餅つきをしたり、部落総出で祭りをする、など、人々の生活は「共同体」に多くを依存していた。しかし、機械化が進展し、所得が増えてくると「共同体」に依存しなくても生活できるようになった。文明の進展(?)の引き換えに、協働をすることが必要でなくなってきたのである。

 さらに、携帯電話、マイカーなどが普通に所有できるようになってくると、家族の中の「共同体」さえ必要なくなってきている。

 そのことが悲惨な事件の要因の一端になっているようにみえる。

 しかし、それが、今、いろいろな形で「共同体」が、徐々に復活しようとしているように思える。もちろん昔とは違った形でだ。疑似共同体といえるものかもしれない。


 人は、所詮、ひとりでは生きていくことは出来ない。いつも、何かにつながっていたい、それが「人」なのだと思う。

 昔、旅をしていた頃のこと、一日、誰かと会話しないと、気がおかしくなるような思いがしたものだ。今でも、出張で遠方にゆくと、周りは見知らぬ人ばかりで、人と話ができないと、たまらなくなってしまう。
 私など、ロビンソンクルーソーには、とてもなれやしない。

 人は、一人では生きてゆけないのである。



 私個人は「近景」である。家族は「中景」である。地域は「遠景」である。

 また、家族は「近景」であり、地域や所属している組織は「中景」であり、それ以外は「遠景」である。

 さらに、会社は「近景」であり、延岡は「中景」であり、宮崎県は「遠景」だ、ともいえる。

・・・・といったように、その時点やそのときの立っている場所により、自分を取り巻く周囲は「近景」になったり、「中景」になったり、「遠景」になったりする。

 高校野球では、地元高校を応援するし、でなければ同じ県内を応援するし、でなければ九州から出場した高校を応援するのも、こういう観念が働いているのである。

 人は、なにかに所属していたいし、何かに所属していないと生きていけないのである。

 しかし、グローバリズムが蔓延し、今、という世の中は「近景」からいきなり「遠景」に直結していこうとしている。
 
 「中景」がなくなりつつある。今の世の中で、大切なものは「中景」である。もっと「中景=パトリ」を大切にしないといけない。
 
 つまり、家族を、家族の居る地区を、所属する会社を、学校を、自分たちの住んでいる地域社会を、故郷を、自分たちが拠って立っていられる根源である「場所」を大事にしないと、やっていけないのである。
 
 
 そのことを、今頃になって、本能的にわかりつつある、というのが「今」ではないだろうか。

 そのためにも「中景」をいとおしく思い、大切にする、そういうものにつながることがあれば、積極的にやっていきたい、そう思っているのである。
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