土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
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あの頃
2007-04-25-Wed  CATEGORY: 昭和の話
 高校を卒業するとき、進路がなかなか決められなかった。本当は、大学に進学したかった。高校三年生の一学期頃からは、深夜のラジオ講座に耳をすませていたこともある。

 でも、進学はできなかった。いや、しなかった。

 進学しなかった理由は、自分自身の覚悟ができてなかっただけである。家は、たしかに経済的に貧窮していたし、高校も工業系なので進学不利だった。

 今から思えば、やろうと思えばやれたはずだ。

 あとは就職。求人は、多かった。
 建設会社、測量会社、建設省、県、市町村・・。

 でも、役所に入ろうという気持ちは起こらなかった。8時から17時まで、日曜休み、土曜半ドンの勤務体制が、気にいらなかった。あの頃は、待遇だとか給与だとかは考えなかった。経済的に厳しい環境で育ってきたはずなのに、金銭のことをいちばんに優先するのは、潔くない、という概念があり、一日中、労働することに嫌悪感を持ってはなかった。

 育った家が、私を取り巻く社会が、そういう風潮だったのであろう。

 ・・・で、何をいいたいかと言うと「中沢新一」である。

「・・・・近代になると、目標達成のために懸命に働く産業労働が入ってきたけれど、それでも日本人自身は、欧米人が感じるほど労働が苦役ではない。自分たちのことをワーカホリックなどとは思っていないでしょう。」

またも、桃知さんから。

 日本人の自然な心性は、労働は「美」だったのだろう。

 でも、今は、目先の金銭ばかりを追及している。エラそうに書いている「私」も、そういう部分はかなりある。というより、それがないと、生きていきにくいようになっている。

 昭和の話、これからも、時々、思い出しながら書いてみよう。


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