土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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昭和の子供と、屋台ひきのおっさん
2007-04-26-Thu  CATEGORY: 昭和の話
昭和35年頃


 子供の頃、屋台をひいて商売をしているオヤジが居ました。年がら年中、同じ屋台を自転車の荷台にくくりつけて、露地から露地を回っていました。売るものは、四季によって変わるのです。

 冬は「お好み焼き」。
 一枚10円でした。屋台の鉄板に、溶かしたメリケン粉を広島焼きみたいに円形に薄く広げます。それに、キャベツやねぎ、を乗せて、焼いてくれるのです。熱々のお好み焼きにソースを塗り、鰹節粉をふりかけて、四つに折りたたんで紙に巻いて渡してくれます。そいつを、両手で包むように持って、ほおばるのです。口の周りについたソースを舌でなめまわしながら食べました。


   初夏は、わらびもち。
 ぷるぷるの透明なワラビ餅に、黄な粉をまぶして、木の皮でつくった容器に入れてくれるのです。アイスキャンデーのような暴力的な冷たさはありませんでしたが、ほんのりとした涼感がありました。

  真夏は、かき氷。
 これを、割り箸と一緒に「型」に入れて固め、アイスキャンデーのようにして赤や青の蜜をたっぷりとかけてくれました。早く食べないと、氷が解けてアイスキャンデー状ではなくなります。時間との勝負。真夏の炎天下にぴったりの食べ物でした。

   夏から秋にかけて「ところてん」。
 木の型にところてんを入れて押し出すと、四角いところてんになって出てきます。それが、おもしろくて、親父の手元を見ていました。器の中の透き通ったところてんに酢醤油をかけて出してくれました。子供のくせに、練辛子を少しつけて食べていました。あの、酸っぱさもよかった。

 今よりも、時間がゆっくりと流れていた時代でした。



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