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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
全体的
2007-04-26-Thu  CATEGORY: 建設
先日、「学際」という言葉を知った。恥ずかしながら、はじめて聞く言葉だった。

 辞書でひいてみると「研究対象がいくつかの学問領域にまたがっていること。諸科学が総合的に協力すること」とある。

また、田坂広志さんも「これからの時代の労働は、全体性の回復に向かうでしょう。本来、私たちの「生」は全体性を持っていました。生きるためには、食べ物や着る物などすべてを自ら作らなければならなかった。しかし、近代社会においては専門化や分業化が進み、効率的で機能的になった半面、我々の「生」の全体性が失われてしまった。仕事においても、自分を「部品」にしてしまった。しかし、自分の「専門」を磨いても「部品」にはなるべきではない。仕事というものを一つの側面からだけ見るのではなく、その全体を見つめなければいけません」と言われている。

 近年は、こういった、総合的な視点で物事を見たり、考えようとする動きが増えてきつつある。
 技術士試験でも、20番目の部門として「総合技術監理部門」が新たに創設されたりしている。これも、従来の、専門技術を深く追求するだけでなく、それと同時に、鳥瞰的な視点で科学を見据え、考え、全体的な視点にたった「何か」導き出そうという考え方が基本となっている。

 今の社会システムは、それひとつで成立しているものは皆無といってよい。全てが、複雑に絡み合い、影響しあっていて、一見、無関係なものと思われるものでも、生き物のように関連しあっている。

 これか?あれか? ではなくて、これも、あれも・・という時代なのだうろと思う。

 土木屋という稼業は、専門的でよかった。ひとつの構造物を造るときには、多くの産業や、人が携わっているけれど「こういうものをきちんと作りなさい」という、あまり考えなくても、構造物は出来るからだ。
 そういった「方法」で慣らされた自分たちは「さあ、変われ」と、おまじないの言葉を言われても、なかなか、変われないのである。
 しかし「変われない」と諦めないで、絶え間ない向上心をもつことが大切なのだ。

 情報を発信する、まだ見ぬ人たちとも、相互情報のやりとりをする。そういったこも大切だなぁ、と思うのである。

この、日々読み書きであるが、どうも最近は、惰性でだらだらと書いているように思えてしかたがない。反省する、と書いているのに反省の行為が書かれていない。
 書かれていない、ということは反省していないのと同じだ。
自虐的ではなく、冷静に考えて見ると、「進歩」とか「前進」というのが、見られない。

 つまり、考えていないのである。考えていないから、すべてに読みが浅いのである。これでは、いかん、と心が焦るのである。


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