土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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たまたま 論
2009-05-15-Fri  CATEGORY: 建設
この時期(決算時期)が近づくと、いつも思うことがある。

 「たまたま」とか「偶然」の積み重ねの結果、今年も、なんとかなった・・と。

 この「たまたま」は、いったい何時まで続くのだろうか。今までは、断ち切れることなく「たまたま」が続いてきたが、来期も「たまたま」が継続するという保証はないし、根拠もない。

 我々は、不安定な立場に居ることを余儀なくされている。
 この時期は「金魚鉢の金魚」であることを、つくづく思い知らせられてくれる。

その折々の政治や世論に振り回されている。

 しかし、しかし、公共工事の施工が経営基盤であるかぎり、これは「宿命」みたいなものであって、この受動的な立場から、逃げるわけにもいかないのだ。

 その中で、我々ができることは、時代の流れを見誤らないように冷静に見つめながら「いい仕事をしていく」「精一杯、やるだけやる」しかないと思う。

 それが「たまたま」の積み重ねなのだろう。多分。

 あくまでも受動的な体制の中で、主動的に考え動いていくしかないのだ。

 一方、金魚鉢の外に踊り出て、新規事業を手がけていく方法もあるのだけれど、これは、口では簡単だが、実施は困難で、外でバタバタともがき苦しんでいくことのほうが多い。

 例えば、我々に寿司を握れといっても、軍手で寿司は握れない。なら「軍手をとっとしまえ」と云われるが、永年にわたって身に着けてきた「軍手」は、体の一部になっていて、脱ごうとしても、取れないのが実情なのだ。

 来期もその次も、また次も、またまた次も、ずっと「たまたま」でもいいので「今年も、なんとかなった」と思いたいものだ。


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