土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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ちよっと前と 「今」
2007-04-28-Sat  CATEGORY: 未分類
ちょっと前のこと。


 「詩」のことについて、下のように日記に書いて「そうだよなあ」と共感したことがある。
 ↓ ↓  ↓  ↓  ↓

 こういう「詩」がある。多分、有名だ。サム・ウォルター・フォスという。
 真面目さを表現している「詩」だ。


「子牛の通った小道」
 野原があった。そこへ一匹の子牛がやってきた。子牛はきまぐれに、くねくね曲がりながらその野原を通っていった。

 その翌日、狩人に追われた鹿がやってきた。鹿は、子牛の通った、草が寝ているあとを逃げていった。・・・緊急のときは、創造している暇はない。人の通ったあとを通るものだ。・・・狩人もそこを通って追っていった。草は、ますますふみつけられ、はっきりと曲がった道ができた。

 その次の日は羊がきた。羊は、その曲がりくねった小道を、曲がりくねっていると不平をいいながら通って行った。

 しばらくたって、こんどは旅人が来た。旅人もその曲がりくねった道を通っていった。
 こうして、草はとれ、土面が顔を出し、曲がりくねった小道ができ上がった。こうなると、村人も、旅人も、馬車も、犬も、そこを通る。

 月日は矢のように過ぎ、その曲がりくねった小道は大通りになった。村の家々は、その大通りに沿って曲がりくねって建てられていった。またたくうちに、そこは大都会の中心街となった。

 鉄道が敷かれたが、その線路も道に沿って曲がっていた。
何十万人もの人々が、今もなお、
 三百年も前に通った、あの子牛に導かれて、くねくねと曲がりながら通っていく。

確固たる前例なるものは、
こんなにまでも尊ばれるのだ。

 ・・を読んで、「ただ、真面目に、決まった道の上だけを歩いている価値は、だいたいこういうものだ」と、読後感を書いていた。

「今」

 でも、今は、ちょっと違う。
 確固たる前例、いいじゃないか、と思えるのだ。
 子牛も、狩人も、ちょっとしたことで、道をつくり、鉄道が敷かれて街が出来た。
 素晴らしい、とさえ思う自分が居る。

 子牛も、狐も、狩人も、非合理的かもしらないが、何か、突き動かせれるものがあり、それに従って、行動し、やがて、街が出来た。
 この、突き動かしたもの、これが、大切なような気がする。

 ちょっと前と今、自分の反応が違う。

 来年になると、また、違っているかもしれない。





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