土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
スポンサーサイト
-----------  CATEGORY: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ページトップへ
昭和という時代 4
2009-09-14-Mon  CATEGORY: 昭和という時代
銭湯は社交場だった。

風呂といえぱ、銭湯です。風呂代は大人、小人、洗髪代と分かれていて大人で15円か20円ぐらいではなかったかと思います。家庭に風呂があるのは商家などの裕福な家で、ほとんどの家は、もっぱら銭湯でした。貞光町にも、「南風呂」「中風呂」「北風呂」の三軒の銭湯がありました。遅い時間帯になるとお湯の水面にびっしりと垢が浮いていたということもありました。そうなると、さすがに湯につかる人は少なくて、壁の部分に腰をかけて足湯みたいに両足だけ湯船につけている人ばかりでした。
風呂は、大きな湯船と小さな湯船があり、小さいほうは「くすり風呂」とよばれて湯温が低く白濁していました。


小学低学年の頃、母に連れられて一度だけ「女湯」に入った記憶があります。湯船は「男湯」と対称になっていました。そこに、同級生の女の子の姿をみとめて「もう、絶対に女湯にははいらないぞ」と心で誓ったことなどが記憶に残っています。


 銭湯に来る人の顔は様々でした。今でも印象に残っているのは、熱湯好きの荒物屋のオヤジ、背中一面に彫り物をした町会議員、左肩から先の無い片腕の人・・・・。

 今思えば、銭湯というのは、老人・子供から大人まで裸の付き合いをする一種の社交場という一面もあったのだと思います。


 そこで、子供たちは、風呂上りのコーヒー牛乳のおいしさだけでなく、お風呂に入る手順や体の洗い方など、世間との付き合い方を体で勉強したのだと思います。

 
スポンサーサイト
ページトップへ  トラックバック0 コメント0
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
TB*URL
<< 2017/10 >>
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -


余白 Copyright © 2005  日々(いや、気のむくままに)読み書き. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。