土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
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実行予算。
2009-11-18-Wed  CATEGORY: 建設
 実行予算書の「かがみ」が出てきた。感光紙に印刷した、いわゆる「青やき」である。

 実行予算

 昭和48年の工事だ。
 国道388号、道路改良工事。
 私が、入社して、はじめて配属された現場だ。この、予算は、先輩が作成したもので、システム的には現在と、ほとんど変わっていない。

 請負額5千万円。当時としたは、大きな工事だった。
 貨幣価値が現在の4分の一としても「二億」の工事になる。
 今みたいに「バックホウ」が、万能機械みたいに、主体となって仕事するのではなく「ブルドーザー」と「人力」がメインとして活躍し「バックホウ」は小型で、あくまで脇役だった。

 硬い岩盤に出くわすと、今なら、バックホウでの大型ブレーカー掘削となるが、当時は、ダイナマイトによる爆破とリッパ掘削だった。
 多分、今でも、爆薬類の扱い方は身に染み付いている。

 法面整形も、今は、バックホウで仕上げているが、当時は、法面仕上げの職人が、命綱でぶら下がって、こつこつと叩き落として所定の法面勾配に平滑に仕上げていた。

 国道の設計の法面勾配も、当時は3分勾配(約73度)から5分勾配(63度)だったが、今は1割2分(40度)ぐらいに、ゆるくなっている。
 また、線形も小さいカーブが何箇所も入り、道路の縦断勾配も12%などという「きつい」勾配だった。

 しかし、その割には、施工中の斜面崩壊などのトラブルは「今」と比較すると、きわめて少ないと思う。多分、機械力がいまほどではなかったので無理をしない自然の地形に合わせた道路設計となっていたのだろう。

 当時の実行予算は「作ること」が目的みたいだったと思う。

 今は、施工計画を原価に換算してものが実行予算である。



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