土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
メモ代わりに。
2010-02-11-Thu  CATEGORY: 未分類
午前5時30分起床。天候は曇り。あとから雨。外気温16℃。

今日も、暖かな一日であった。

今、延岡の自然災害の歴史を調べている。
調べている、といっても大したことはない。
「延岡郷土史年代表」から、災害の事項だけを抜き出して整理しているだけだ。

何に使うかというと、不特定少数の市民の前で「自然災害」について話す機会があるので、調べていた。


 ↓は、メモである。


延岡の歴史において最初に記録された自然災害は887年の水害と地震の複合災害である。

  

887年7月  大地震と洪水があり、祝子村千光寺が流失し守護田に移転した。川島の熊野大権現は倒壊した。



 つづいて・・
 

1636 年10月  大洪水があった。
 1689年7 月   大洪水があり坂田橋が流失した
 1703年 8月  大洪水があり堤防が決壊した
 1722年 6月  22,23,24雨が降り続き大出水があった。被害高三万六千五百二十四石
 1769年 7月  地震があり延岡城の石垣が崩れた
 1813年 8月  五ヶ瀬川が連日の雨で大増水二丈三尺余に達し領内人畜の溺死多く家屋橋梁も夥しく流失しで田畑の損害が多大であった。
    ・・中略・・
   ・
   ・
 1883年 9月 洪水あり、板田橋が流れた。
 1884年8月 強風が吹き、橋を裂き人家を倒した。竜巻???
 1886年9月 洪水あり、大瀬橋が流失した。
   ・
   ・
    あと、ざっくり・・


 ・・・・・・と、4年前に発生した「竜巻災害」まで記載されている。

 こうしてみると、延岡という町は、主な災害は、水害だが、日向灘を震源域とする地震や竜巻にも幾度も襲われていることがわかる。

 火山による災害は文書として記録はされていないが、市内から少し西の方の山を掘削すると「赤ホヤ」の層がくっきりと見える。
 今から7400年前、鬼界カルデラの破局的噴火で、このたありも火山灰(赤ホヤ)で埋め尽くされ、当時の縄文人は、大打撃を蒙り、移住をよぎなくされたであろう。

 延岡も、他の地域、市町村と同様に、有史以来、幾多もの「天災」と共存してきた。
 列島に住む以上は、どこで暮らしても自然災害のリスクはある。

 共存するには、リスクを低減していくしか、方法はない。

 そのことについて、話ししてみよう。

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