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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
飯炊き・・・・。
2011-01-29-Sat  CATEGORY: 昭和の話
午前6時30分起床。天候は晴れ。外気温2度の朝。

 今日も、技術提案について考えていた。いい案が出ない。

 一昨日、コンクリート打ち込みの現場に行く。養生は、ばっちりであった。
 ついでにコンクリート温度。

 28.6度をさしていた。これは、コンクリート表面から30センチぐらいの場所である。今日で二日目。明日から明後日にかけて31度ぐらいまで上がり、あとは、暫減していくのだろう。
 温度解析で得られた温度とほぼ同じであった。

 温度履歴

 


飯炊き
 今は、米をといで、炊飯器にセットしてスイッチを入れておくと起床と同時に炊き上がるようになっている。朝から、炊きたての御飯が食べられる。
 洗濯は、衣類と洗剤を投入するだけで、洗い、すすぎ、脱水までの一連の工程を一人でやってくれる。
 
 子供の頃。
 母は、毎日、かまどの前にしゃがんで火吹き竹を吹きながら飯を炊いた。

 洗濯たらいと洗濯板と洗濯石鹸で、襟元などの汚れを一枚一枚確認しながら洗い、水道から何回もバケツで水を運んできてゆすぎ洗いし、か細い腕で絞ったあと、梯子段で二階に上り、足元の不安定な屋根瓦の上に立って、軒下の物干し竿に衣類を干していた。

 二階の屋根は、洗濯物だけでなく、ザルに入れた梅干や布団も干した。

 秋は、庭の渋柿を父と母が一個づつむいて、荒縄に取り付けて、洗濯物と同じように干した。母は、時々、吊るした柿を指先でひとつずつもんでいた。

 まつりがあると団子を蒸したり、五目ずしをこさえたり、甘酒を仕込んでいた。
 母の五目ずしと甘酒と団子は絶品であった。まつりに訪れる親戚の者にも大好評であった。
 熱くした甘酒を湯のみに注いで、すりおろした生姜を入れて「ふーっ、ふーっ」と吹きながら飲むと、それは、いうにいわれない味わいであった。

 ここ数年、家人のつくる五目寿司も、母のそれに似てきて、とても美味い。




 生活は便利で、食べ物も豊富になり、快適になっているし、けれど「楽になった」のだろうかと思う。

 今更、当時の暮らしでは辛抱できないと思うが、今とはちがった豊かさもあったようにも思える。

 
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民間療法
2010-11-05-Fri  CATEGORY: 昭和の話
 午前6時10分起床。天候は晴れ。

 今朝は、いつものように朝食をしっかりといただいて、個人的な要件で、宮崎市まで車を走らせた。

 久しぶりの宮崎市ではあるが、やはり、遠く感じる。往復5時間近くかかる。

 要件は、すぐにすんだので、とんぼ返りして帰宅し、遅めの昼飯を食べて、出社した。




民間療法

子供の頃、怪我をしたときは「ヨモギ」であった。ヨモギの葉っぱを叩いて傷口に押し当てる。血止めになるといわれていた。川原で水泳するときの水中メガネの曇り取りにも使っていた。耳栓の代わりにヨモギの葉をつめて飛び込んだこともある。

それから、生卵の殻の内側の薄い皮膜は、母が血止めとして傷口に当てていたこともある。
またアロエの薄皮を傷口にあてるという治療方法もあった。

火傷をすると、オロナイン軟膏より先に味噌を塗布していた。火傷といえば「味噌」であった。


あとは八手の葉っぱ、梅干だとか、いろいろあった。

おまじないみたいなものも、あった。


それで、みんな、治療していたのだ・・・・。


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21世紀の我が国の姿。
2010-08-10-Tue  CATEGORY: 昭和の話
 午前5時30分起床。天候は曇り、外気温26度の朝だった。 
 
 今朝は、炊きたてご飯、豆腐とワカメと玉ねぎの味噌汁、高菜漬け、茗荷、納豆と海苔、濃茶をいただいた。 

 


鳴門高校、敗れました。残念。
 明日は、延岡学園の試合があります。




1970年に想定した21世紀の日本
21世紀の日本


この地図をみると、四国には似たような場所に3本もの橋は架かることになっていません。時速500キロのリニアモーターカーが中央構造線沿いに日本を貫いています。

 もしかしたら貞光町の近くをリニア新幹線が走っていたのかもしれません。(笑)

 そして、な・な・なんと、新幹線が大分から宮崎まで来ているではありませんか。当然、延岡も停車駅です。それと、延岡の沖合には海上都市が造られているようです。
 リニアモーターカーは山陰を走り、山陽は従来型の新幹線となっています。

 今とは、ずいぶん違うようです。

 これは、どこから持ってきたかというと、1970年の大阪万博、日本観のパンフレットから転用しています。


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昭和の子供たち
2010-03-13-Sat  CATEGORY: 昭和の話
 午前6時30分起床。天候は曇り。外気温8度の朝だ。

 あさ

 今日は、社休日。休みは、本社だけだ、多分。
 多くの現場は稼働しているし、民間営業も、展示会や内覧会や営業などをしている、と思う。




話しは変わる。

TVで誰かが言っていたけれど、相撲をとって遊ぶ子供の姿が全く見えなくなった。
子供たちは、いつ頃から、相撲をやらなくなってきたのだろう。
私たちの子供の頃は相撲のTV中継などあまり見ることはなかったのに、子どもが何人か集まると、地面に棒切れで円を描いては、相撲をとってよく遊んでいた。雨の日は畳の上でも取っ組み合いしたし、校庭の砂場は、砂遊びするところでなくて相撲場であった。

相撲は、身近にある遊びだった。

TVの誰かが言っていたように、今は相撲をとる子供は居ない。相撲人気が衰えるはずだ。

 でも、相撲だけでなく、チャンバラ遊びする子供も居ない。棒切れを振り回して遊ぶ姿は遠い昔のことだ。

 昭和の子供たち

 昭和の貞光の子供たち。


昭和35年頃




チャンバラ、撃ち合い、こま、杉鉄砲、手裏剣、吹き矢、ゴム銃、パチンコ、べった(めんこ)、ラムネ(ビー玉)、かくれんぼ、缶蹴り、雪合戦、きんま滑り、川での水泳、隠れ家作り、木登り・・・・・・・。今なら「あー、いかん、いかん」と言われそうな危険な遊びもしていたなあ。
 
 今の子供たちに「昔の子供の遊び」を教えてやったら、楽しむだろうか。

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昭和の食べ物。 切り干し 、酒のかす、甘酒。
2009-12-01-Tue  CATEGORY: 昭和の話
 干しいも

徳島では「切り干し」とか「ゆでぼし」などと云われていた。各家庭の軒先の冬の風物詩でもあった。

子供の頃、お隣の谷さんのお婆さんが作っているのを、観察していたので、今でも造れそうな気がする。
手順は以下のとおりだった。


生の芋を輪切りにする。
芋の真ん中に専用器具で孔を空ける。
2,30個の芋にわら縄を通してひとまとめにする。
大きな釜で茹で上げる。
茹で上がったものを二階の軒先に吊るして干す。

あめ色に干しあがった芋は、白くうっすらと糖分が表面に出てくる。

そのまま、硬いまま、かじって食べる。子供の頃、遊びにいくときは常にポケットに「切り干し」の何枚かは入っていたものだ。

別の食べ方は、切り干しを煮て食べる。これは、とても甘くておいしいものだった。

 写真の、上の干しているのが「切り干し」だと思う。
切り干し



切り干し を作ってみたくなってきた。


酒のかす 

我が家のお隣は酒造店だった関係で、酒のかすをよくいただいていた。食べ方は、ひとつ。七輪や火鉢の上に載せた餅網の上で焼く。表面がパリパリ的になったら焼き上がり。この上に砂糖を乗せていただくのである。



甘酒 

米と麹でつくった御飯粒がみえる「甘酒」だ。秋になると、母がよくこさえてくれた。母は、料理は上手なほうではなかったと思うが、カレーライスと寿司、そして甘酒は、第三者から「おいしい」といわれるぐらい得意であった。
どのようにして作っていたのかは知らない。今、市販されている「どこに米があるのかわからない」どろどろの甘酒とちがっていた。つぶつぶの食感がよくて、甘酸っぱくて、それは、おいしいものであった。おおきな甕で保存していて、寒い頃は、温めて生姜をすりこんでいただいた。
たまに、市販のを買って飲むこともあるが、母のとはちがう代物で、どうでもいいかなという感じだ。

母の甘酒、飲んでみたい、けれど、かなわないことだ。
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