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土木建設業に従事していますが、専門分野のことは少なくて、昭和のこと、故郷・徳島のこと、延岡のこと、雑多なことを自分の記録として日記代わりに書いています。St.3bの「がんサバイバー」でもあります。
 日々(いや、気のむくままに)読み書き
お堂と母屋
2013-12-25-Wed  CATEGORY: 貞光町

昨年の年末年始に帰郷したときに「あの場所に行ってなかった」とか「あそこまで行ったのに、何であそこに行かなかったのだろう」とか「○○さんに会わないままだった、○さんにも・・」などと、今になって「心残り」というのが出てきたりしている。

 考えてみると、この世に生を受けて21年間も暮らしていた場所を、わずか四泊五日ぐらいで心おきなく廻れるわけは最初から無理な話ではある。

 そういった中で、東山(ひがっしゃま)の白村にある母屋(おもや)を訪ねたとき、なんで、ちょっと足を延ばして「大泉堂」まで行かなかったのだろうと、湯船につかりながら思った。

 母屋から、竹林の側の急傾斜の細道を下りていけば5分もかからなかったろうに。

大泉堂は、私は単に「お堂」と呼んでいた。家から、母屋までの登る過程の約8割方ぐらいの箇所にあり、ここを素通りすることなどただの一回もなかった。必ず立ち寄り、父の真似をして手を合わせてお堂の縁に座って休憩をしたものだった。
また、1年年上の真澄君と登ったときは、ごつごつしたお堂の広場で相撲をとって、なんかと負かしたこともある。



相撲といえば、当時の子供たちにとってはメジャー系のスポーツであった。校庭の砂場、河原、往来、田んぼ、ちょっとした広場などに、棒きれで円を描くと、簡単に土俵ができあがるのだ。
向かい合って「はっけよい」の掛け声で取っ組み合いをする。

今は、野球、サッカーが主流だが、当時の子供は野球派と相撲派がいたように思う。TVでは、朝潮、若乃花、大鵬、柏戸などの横綱のほかに、けたぐり専門の海乃山とか、もろ差しの鶴ヶ峰、吊り出しの明武谷など個性的な力士がいた。なかでも、藤の川という小兵の関取の飛び跳ねる相撲が好きだった。

私は、運動神経がよい方ではなかったので「相撲派」であった。勝っても負けても相撲をとるのは大好きで、こちらに来ても、若い者をつかまえては相撲をとっていたりした。

むろん、今は全くダメで体も筋肉も足の運びもついていかない。

 中学になって柔道をはじめたのは、兄や柔道ドラマ、柔道漫画の影響のほかに、相撲の延長線というのもあったのだと思う。



母屋は、誰も住まなくなってから、かなり時間が経過しているようであった。

 お堂から竹林の間を抜けて上がったところに水槽があり、山から引いた水がこんこんと湧いていた。いつも、ここでのどをいやした。
泉

 そして石段を上る。
石段

 母屋は、廃屋みたいになっていた。

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 置き忘れたように「そろ」が残っていた。
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校歌に思う
2013-04-07-Sun  CATEGORY: 貞光町

徳島には四国、いや西日本第二の高峰「剱山(つるぎさん)」という名高い山がある。
 
生まれ故郷は「貞光町」であったが、平成大合併により「つるぎ町」に名称が変わった。

この周辺の小中高の校歌の歌詞には、必ずと言ってよいほど「つるぎさん」が使われている。



貞光小学校校歌

「けんざんによせて あおがん みがけ力あわせて この土に生まれし子らの 理想は萌える木綿麻のツツジ・・」。



 歌詞の一番と二番がごちゃまぜになっているような気がするが、素晴らしい歌詞だと思う。

 以前は「つるぎさん」ではなく「けんざん」と唄われていた。

 本当は「つるぎ」の方が正しいかもしれないが、個人的には、やはり「けんざん」だろう、と思う。


貞光中学校校歌

「秀麗あおぐつるぎさん 理想の雲にひははえて 輝く虹よ よぶ虹よ・・」
「熊野の森のときわぎと 根をつちかわん たくましく・・」
「吉野の川の 澄む水に こころの珠をみがきつつ・・」



 中学になると「けんざん」から「つるぎさん」に変化する。これは、これでいい。いや、中学生になると「つるぎさん」でなくてはならない。

 つまり「劔山」は、なにがなんでも「つるぎさん」ではなくて、その場その場、雰囲気、言葉の前後など、各人の自由な好みで「つるぎさん」であり「けんざん」でいいのだと思う。

 どちらにしても、小学校校歌に負けず劣らず、いい歌詞ではないか。


 貞光小学校は、私たちが在校していたは800人以上の子供がいた。多い時は全校児童は千人を越していたと聞く。
 中学校の方は、現在は全校生徒数は約130名。私たちの同級生は184名を数える。
今や、全生徒数が当時の一学年にも満たない。

 少子化時世に対応すべく、合併、統合、廃校を行い、校歌も、校訓さえも、微妙に修正させられている。

 やむを得ないが、どこかさびしい。

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旧商店街のこと 1
2013-03-01-Fri  CATEGORY: 貞光町
ちょうど1年前の今日は、治療のため1週間程度再入院した日になる。
 
 3回目の入院が無いように願いたいものだ。

 


福田呉服店・福島楽器店・井川商店のことなど。

 「元・福田呉服店」
 商店


 福田呉服店では「足袋」ぐらいは買ったことがあるかもしれないが衣類を購入したことはないと思う。
それでも、私たち町内に住む子供たちは、年に一度は必ず「福田呉服店」のお世話になったものだ。
当時、学校の「教科書」は福田呉服店でしか求められなかった。新しい学年に進級するたびに、母と一緒に福田呉服店まで真新しい教科書を買い求めに行った。

 はっきりと覚えていないが、店内はうっすらと暗く、TVの「鬼平犯科帳」に出てきそうな「おたな」みたいな雰囲気だったように思える。
 いつごろからか忘れたが、教科書はお国からの支給品となり対価を支払わなくてもよくなった。

子供心に、なぜ、本屋さんでなくて呉服店で教科書なんだろうと、ちょっとした疑問をいだいたこともある。
ご主人の顔は記憶していないが老舗の店主という感じだった。

「元・福島楽器店」
 商店2


 福田呉服店の数軒北よりに位置している。道路の両側に二層うだつが続く街並みの中で、福島楽器店だけが、白い洋館形式で建てられ異彩を放っていた。それでもなんとなく周囲の雰囲気に調和していた。
福島楽器店は町内ただひとつの楽器店だった。

 ジブリのアニメに出てきそうな、初老の女主人が応対に出られていた。
ここで買うものといえば、学校の音楽で使う「カスタネット」「ハーモニカ」「縦笛」のたぐいである。
中学に入ると、エレキギターなど買えないのに「ピック」、ドラムなど現物を見たこともないのに「ステイック」、などを買った。流行っていたグループサウンズ(GS)の影響と思うが、そんなものを買ってどうするつもりだったのだろう。

 初めてギターを手に入れたのもここだ。アルバイトで貯めたお金で買った。興味の対象がGSからフォークに移っていたので、本当はフォークギターが欲しかったのだけれど、なぜか、クラシックギターを買ってしまった。
そうそう、レコードも販売していた。わが家にはレコードプレーヤーも無かったのでレコードそのものを買うことはなかったが、沢山のレコードが陳列されていたような記憶がある。

「元・井川商店」
商店3

 運動場に行く入口の角地に位置していた。このあたりは、主要な通学路で幼稚園、小中学校に通う児童の大半は井川商店の前を歩いて登下校していた。

 駄菓子屋さんだったが、駄菓子以外にも「ノート」や「かぶせ(鉛筆キャップ)」「ナイフ」などのちょっとした文房具などもおいてあった。

 ここでは、写し(移し)絵、べった、コリスガム、日の丸キャラメル、シガレット菓子・・などを買った。
当時は、幼稚園も4クラスあったし、小学校の全校児童数は800人を越えていた。我々の中学時代の同級生にしたって総勢184名を数えることができる。それが、今や少子化の影響で中学の全校児童数は130名しかいない。いや、まだ130名もいる、というのが正しい表現かもしれない。

時代だといえばそれまでだが「これでいいのかい」というような思いがする。

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ソウルフード  甘酒
2013-02-22-Fri  CATEGORY: 貞光町
甘酒

近藤糀製造所で甘酒を購入した。
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 近藤糀製造所は、私の子供のころには既にあった。現在は何代目かは見当がつかないが「老舗」である。


家人から、ホットにしてもらって、すりおろした生姜を入れていただいた。
ご飯粒の舌触り、適度な自然な甘さと酸っぱさがひろがる。

うーん、あの頃の味だ。(・・と思う。)

甘酒には二通りある。
ひとつは、酒の粕をお湯で溶いて砂糖を加えて鍋で煮るなどしたもの。

「甘酒、飲むで?」
「うん、もらおうかな」
「はい」
・・・・・と出された甘酒が、酒粕の甘酒だったりすると、がっかりする。
私からすると「これは甘酒ちゃう。二度と甘酒と呼ぶな」といいたい。

こいつは、アルコールが残っているので飲み過ぎると酔うこともある。

原料の酒粕は、わが家の隣にあった阿川酒造から毎年いただいていた。
私は、よいたんぼ(酒飲み)ではないので、飲めんことはないが、苦手な飲み物だった。

甘酒もどきにするぐらいなら、酒粕を七輪の網の上に広げて焦げ目がつくぐらいに炙ったのに砂糖をつけて食べるほうを取る。そのままだと食べられないが、焼いて砂糖の甘味を加えることで、冬の寒い夜に適したデザートとなる。

今回のは、米麹と米を醗酵させた「正真正銘」の甘酒だ。

「まつり」があると、母がよく作ってくれた。いわゆるハレの日に口にするものだ。
近所の近藤糀製造所で「麹」を求めてきて、陶器でできた瓶の中に入れて作っていた。

生姜をちょっと効かせた熱い甘酒を湯のみに注いでもらい、両の手でつつみ込んで「ふーっ、ふーっ」と息を吹きかけながら飲む。

もちろん、冷たいままでもうまい。

甘酒は、非日常の食べ物とはいえ、私のソウルフードの一つとして数えてもいいだろう。
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電話
2013-02-14-Thu  CATEGORY: 貞光町
2/14/2013(木)晴天
朝外気温2℃。


昨夜、同級生のひとりから電話があった。

今から反省会をはじめる。10人ぐらい集まっている。お前も出てこい。というような内容である。

「おお、今から行くわ」と返事してみた。

背中に翼でもれば、すぐにでも駆けつけるのだが・・・・・・・。

 彼ら(彼女ら)は、あれこれちょっとしたきっかけを見つけては反省会を催しているようだ。

 いいな、と思う。


彼ら(彼女ら)の反省会の事を聞いていると、あまり関連はないかもしれないが、高田渡の「酒心」が思い出された。

「酒心」

♪雨が降るといっては飲み
 晴れれば晴れたで飲む
 雪で一杯
 紅葉(もみじ)で一杯
 夏の夕立後は さわやかに一杯

 春のお酒は たまらない
 一分咲いたら ちょっとと一杯
 二分咲いたら また一杯
 三分咲いたら 本格的に飲む

 散りゆく花に  涙して
 酒飲み族はたまらない
 酒飲み族はたまらない  と言った具合で
 一年 三百六十五日 飲む


しかし、遠慮もいらない飲み方は最高だ。三百六十五日でも、いい。



ところで、今回、同窓会で旧友たちと会って感じたなかで、思い出した言葉がある。

「男子三日会わざれば刮目して見よ。」である。

この言葉に、説明も解説もいらない。しいて言えば、今や男子だけとは限らないだろう。

とにかく、自分はそう感じたのだった。

 【高田渡 酒心】





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